序章(はじめに)

私は、とある都市で暮らす、ごく普通のサラリーマンだ。かなりのコミュ障です。そして、文才、表現力がない。小学生の時代から感想文や日記を書くことが苦手で現在においても会議があれば自分の意見や感想など自分の考えや疑問を持つことがありません。しかも年齢的な衰えか?簡単な語彙も出てこないこともあります。そんな私でもブログに挑戦しようとしています。
幼い頃、保育園に行くのがつらくて、毎朝のように泣いていたらしい。
大人になった今でも、あの時の「外の世界への不安」は、心のどこかに薄く残っている気がする。
そのせいか、人付き合いや恋愛にもどこか臆病で、気がつけば独身のまま年齢だけが積み重なった。
恋愛願望自体はずっと強かった。
観光地で手をつないで歩くカップルを見れば、羨ましさと寂しさが胸の中で渦を巻く。
「いつか自分も」と願いながら、気づけばディズニーも、豊島園も、USJも──ずっと“誰かと行きたかった場所”のまま時間が過ぎてしまった。


…ここまで書きながら、つくづく思う。
我が人生は、情けない。怠け、逃げ、後になってから気づくことばかり。
50年目前だというのに、思考も行動も10代からたいして変わっていない。
経験値は低いまま、時間だけが勝手に進んでしまった。
本来、私は極端な秘密主義だ。
昔から、自分の過去も現在についても他人に語ることには抵抗があった。良いことは自分の中の秘密にして情報共有したくない、悪いことは心の中の“黒歴史ファイル”として墓場まで持っていくつもりだった。発信できるような人生ではないし、それは今でも思うことだ。けれど、このまま心の中で全て眠らせるより少しだけでも発散することによって何が得られるか感じたくなった。

それでも今回、こうして自伝的なブログを書こうと決めたのには理由がある。
世の中には、こんなにも情けなく、生きづらく、それでもなんとか生きてきた人間がいる──そのことを知ってほしいと思ったからだ。
もし今、迷い、悩み、苦しんでいる人がいるなら、
このブログが気休めでもいい、少しでも参考になれば嬉しい。
読みながら優越感を覚えても、それでも構わない。
そして、私もまだ人生を諦めてはいない。
ここからどう変わっていくのか、その過程も包み隠さず書いていくつもりだ。
いつか良い報告ができるように──。
年代に関係なく、励まし合い、互いの人生を少しでも前へ進められる場所になればと思う。本稿は、過ぎ去った日々を振り返り、私自身が抱えてきた感情や経験をそのまま記録したものであり、人生を正しく導くマニュアルではない。ただ、一個人の歩みを率直に語ることで、どこかの誰かが自分の人生を見つめ直すきっかけになれば──そんなささやかな願いを込めた記録である。なぜこんな人格になったのか、なぜこんなに不器用な生き方しかできなかったのか。それらの答えを探す旅は、幼児期からの、あの小さな日常から始まっている。というわけで、ここからは私の幼児期から話を始めようと思う。
今後は、各時代の自分史を語りながら、テーマ別の記事を予定している。

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