地元の小学校に入学することになった。
入学式の日、私は静かに席に座り、担任の先生の説明を聞いていた。すると突然、後方の保護者席から妹が私のところへ駆け寄ってきた。母が慌てて抱き上げると、会場に小さな笑いが起きた。今も印象に残っている、ほほえましいハプニングだった。
翌日からは、決められた集合場所に集まり、集団登校が始まった。班は男女で分かれ、男子の中でもさらに1班・2班と小さなグループに分かれていた。その区分は子どもながらに派閥のような空気を生み、狭い通学班の中でも小さな社会を感じた。
登校では、班長と一緒に先頭を歩いた記憶がある。近所には特に乱暴な児童はいなかったが、年の近い上級生のいたずらに我慢できず、喧嘩になったことが何回かあった。
また、私は特徴的なおかっぱ頭だったため、「ビッケ」というあだ名を付けられた。アニメ『小さなバイキング ビッケ』の主人公に似ていたらしい。今思えば名誉とも言えるあだ名だが、当時の私は複雑で、どこか抵抗を感じながら受け入れていた。
なお、ビッケのアニメ自体は長く知らず、大人になってネットで調べて意味を知った。余談だが、『ONE PIECE』の作者・尾田栄一郎さんもビッケから作品の着想を得たと言われている。
小学校生活は、比較的穏やかにスタートした。隣家の幼馴染は別のクラスだったが、近所の女子が同級生にいて、入学当初は家に遊びに来てくれることもあり、新たな出会いに新鮮な心地よさを感じていた。また、幼馴染の存在は心強かった。
ただ、不思議なのは、幼馴染とは9年間の義務教育の間、一度も同じクラスにならなかったことだ。学校側の配慮、もしくは家族の意図なのか、ただの偶然なのかはわからない。しかし、私は数年のうちにその空気を察し、後に彼との関係が悪くなっても「同じクラスにはならないだろう」という妙な確信を持っていた。
入学後、私はスイミングスクールに通うことになった。
人生で初めての習い事であり、水に対する恐怖心を克服することが目的だったが、「やらされている」気持ちが強く、モチベーションはあまり高くなかった。二年間通ってもなかなか上達せず、運動面での習得の遅さを自覚するきっかけにもなった。
学校での毎日は穏やかで、クラスメイトとの関係も良好だった。授業中に上層階の上級生が音楽の授業で奏でるリコーダーの音色が好きで、悲しい旋律にしんみりと浸っていた。
かすかにメロディーが耳に残っているが、あれは何という曲だったのだろうか?私はこの曲を習うことはなかった気がする。
休み時間は女子やクラスメイトの兄弟を交えてリレーやかくれんぼ、鬼ごっこなどをして楽しんでいた。幸い走ることは多少得意だったので私の見せ場はあった。
私の地元は製造業の地域である。そのため、
親が地方出身という家庭も多く、夏休みになると東北や九州へ帰省する話をよく耳にした。私はその話が羨ましくて仕方なかった。自分には「帰省先」というものがなかったからだ。
ただ、長野に叔母がいて、夏休みに二度ほど訪れる機会があった。その時間は今も鮮やかに覚えている、特別な思い出になっている。
土曜日は半日授業だったため、午後から自由に使える時間が楽しみだった。
ただ、地域で定期的に開催される子供会の行事には、私はほとんど参加しなかった。今振り返ると、内気で引っ込み思案だったことに加え、子供会には普段あまり接点のない別班の子どもたちも集まるため、**「仲間に入れないかもしれない」**という不安が強かったのだと思う
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