私と湘南My Love

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私と湘南との縁は深いと思っている。まず最初はTUBEやサザンの楽曲の世界観である。
次に、スラムダンクの舞台であること。しかし一番かけがえのない記憶は大学時代の江の島デートであろう。私がデートで江の島を選んだのは上記の理由が大きく影響していたはずだ。彼女との出会いはバイト。私がカレーショップのオープニングスタッフとして半年くらい経過し、腕と自信が上がっていた頃に入った後輩である。彼女とはシフトが違い、直接働くことが少なかったので接点が少なかったものの、顔を合わせた時は優しく明るい表情で接してくれて、接客もファミレス仕込みで好感を持っていた。家庭の事情で2.3ヶ月程度で退職することになってしまったが、その時に残念ながら連絡先を聞けなかった。それも私らしい今日に至るまで克服できない詰めの甘さである。引きずることはなかったが、ふと思い出していた秋のある日、私がバイトの帰りに駅で電車を待っていた時に、ふと階段上に視点を変えた時、疲れた表情でエレベーターから下りて来た彼女を発見。私と目が合い、瞳孔が開き、嬉しそうにしてくれた。途中まで一緒に電車に乗り、楽しく会話し、今度は携帯の連絡先を逃さず聞いた。何回か電話の後、順調にデートにこぎつけることができた。前夜は興奮と緊張で寝付きが悪かった。その時に聴いた音楽は今でも覚えている。TUBEでもサザンでもなく、中島みゆきさんだった。ちょうどベスト・アルバムの大吟醸、大銀幕をレンタルで借りてきていたので、特に大銀幕の「命の別名」が気分に合っていた。寝不足の状態で定番の新宿アルタ前で待ち合わせ、小田急線にて江の島へ向かう。快適にロマンスカーに乗るのが王道かもしれないが満員に近い電車に揺られながら立ち話していた記憶があるので、多分それは時間待ちがあったので別の電車に乗ったのだろう?と思いたい。彼女は小田急沿線の大学に通っていてかなり詳しかった。そんな地理的な話や学校生活の事を会話していたのだろうか?乗り換えしながら終点の片瀬江ノ島駅に無事到着。晩秋の江の島。驚くほど観光客がいなかった。そこから二人の世界が始まった。数人のウインドサーファーを横目に海岸線に沿って歩き、江の島を目指した。江の島に到着。まず、江の島水族館には入らずにエスカーなる上りエスカレーターに乗り、島内観光をする。福引?が当たって彼女に宝石探しをしてもらってダイヤのような綺麗で良く光る石を引き当てたがその後、半強制的におじさんに有料で指輪の加工をされて彼女に指輪をプレゼントすることになってしまった。最初はお互いに苦笑いだったが終始薬指に付けてくれておもちゃの指輪とは思えないほど美しかった。江の島岩屋という洞窟に入ることになったが、そこも二人きりで貸切状態。
スリルをかもしだす雰囲気に、一度彼女を驚かして遊んでしまった。柄に合わずおどけてしまった。外に戻った時、一組の親子を発見。無人島で同志に会った安堵感だった。
沿岸近くで海を背に2ショットの記念写真を撮ってもらった。カメラは事前に用意した使い捨てカメラ「写ルンです」である。余談だがカラーではなく、セピア色バージョンで、私のノスタルジックへ憧れを感じる。
江の島観光を終え、藤沢へ移動。小田急百貨店のレストランで食事。エレベーターの誘導がおじさんで人生初めてのエレベーターボーイ?に笑いをこらえた。ただ、その頃は私と彼女の時間に哀愁が漂い始めていた。帰りの電車は藤沢駅から念願のロマンスカーに乗ることが出来、新宿に無事帰ってきたところで別れた。それは、永遠の別れとなった。私が深読みして彼女からのリアクションを気にしすぎてしまった。
彼女からの感想や次回の約束についての話などがなかったのであまり楽しくなかったと思ってしまった。しかしながらこの一日のおかげで1999年の印象が全く違う。成就することはなかったが、曇り空から一筋の光を感じることが出来た経験に本当に感謝している。ありがとう、そして、さよなら私の湘南My Love
読者の皆様は私のデートに対してどのように思われたでしょうか。ご自身の経験を振り返る機会になれば幸いに思います。
2026年元旦

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