距離が近くなる中で甘い時間もあった。
ささやかな会話の中で記憶に残るものもある。まず、血液型が私と同じA型ということ。そして、年子の兄がいて、指のささくれをむしられて痛い思いをしたようなことを優しく話してくれた。普段見せる活発な彼女とは違う穏やかさに彼女からの好意をしんみりと感じていた。年度の終わりが近づき、どこか哀愁が漂うある日のことだった。私はふとしたきっかけで、彼女に縄跳びを借りることになった。その時、一緒にいたクラスメイトが冷やかし半分で、彼女に──「ビッケ(私)のこと、好きなの?」などと聞いてしまった。胸が凍りついた。どうせ否定されるに決まっている、そう覚悟した瞬間だった。彼女は迷いもなく、静かにうなずいた。お下げ髪を直してくれた日の記憶が蘇り、そのうなずきはまるで菩薩の微笑みのように見えた。しかし私は、仏にはなれなかった。うまく返す言葉もなく、ただ冷やかした友人に照れ隠しをするだけの、幼くて天邪鬼な少年のままだった。心中では彼女に冷たくしてしまったことが胸のつかえとなった。あれは別れの暗示だったのかもしれない。そしてやはり、彼女との縁は、そこで途切れた。2年生になり、私たちは別々のクラスになった。彼女の存在感はますます輝く一方で、私はどこか低迷していた。遠くから眺めるしかない存在になり、ついに同じクラスで再会することもないまま、彼女は3年生か4年生の頃に隣町へ転校してしまった。余談だが、あの日彼女に「好きか」と尋ねたあの友人は、その後すべて彼女と同じクラスになった。縁とは皮肉なものだ。もしかしたら、結ばれるべき縁はそちらだったのかもしれない。そうでなくとも、すでに、当時の私にとって彼女は遠い光のような存在だった。彼女の視線を感じることははなかったが、遠くからでも彼女が私を菩薩の目で見てくれた瞬間が少しでもあったのなら──たとえそれが恋ではなく、慈悲によるものだったとしても、私はそれで十分だと思える。この記事を書き終えて、まず感じたのは「非常に恥ずかしい」ということだ。しかし書き出してみると、驚くほど自然に筆が進んだ。50歳になろうとする男が、小学1年生の思い出をここまで語ることに違和感がないと言えば嘘になる。それでも書けてしまったのは、きっと心のどこかで「自分はこういう出会い方を望んでいた」と思っているからでもあるし、彼女への気持ちが強いからだ。小1の自分にすら嫉妬してしまう。だが、当時の私はただ無我夢中か、ぼんやりしていただけの純粋で無欲な子どもだった。男女の出会いなど知るはずもない。それこそが出会いを待つヒントなのかもしれない。この節目に、長く眠っていた記憶を初めて文章にできたことに、私は満足している。彼女も今は同じ50歳。順風満帆ばかりの人生ではなかっただろう。もしかしたら私と同じように横道へ逸れたこともあったかもしれない。それでも私は、私の前で見せてくれた“あの菩薩のような姿”こそ、彼女の本質だったと信じたい。菩薩のとしての引力によって必ず立ち直るのだ。時空を超えて今でもどこかでつながっているような気がするのは、情けないはずの自分を主人公にしてくれた記憶のおかげで、少しだけ自分が格好よく思えるからだ。あの日、礼を言えなかった彼女に、心の中でそっと感謝を伝えたい。そして、私も好きだった。と。この気持ちを大切にして、前に進もう。ただし、悩んだり迷ったりした時はこのブログに戻って来よう。
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